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「悪役」も所変われば…

 昔、ラジオで聴いた次郎長物の浪曲の中に、「竹居のども安 鬼より怖い どどとどもれば人を斬る」という俗謡が登場したのを覚えている。銀幕のヒーロー清水次郎長に刃向かう悪役の側が強さを誇示した、子供心にも憎たらしい台詞だった。
 「ども安」は幕末に甲州で名を売った実在の博徒。その、本名中村安五郎の生家が山梨県笛吹市に残っている。東京と山梨を結ぶ私の「通勤ルート」の途中なので、ちょっと寄り道してみたことがある。
 静かな村落に入って年配者に「ども安の家はどこでしょう」と聞くと、「ども安さんの家は……」と敬称つきで教えてくれた。生家の庭には「竹居の吃安誕生之地」の石碑が誇らしげに立っている。
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 安五郎は地元の大親分だっただけではない。流罪となった伊豆・新島から島抜けして帰郷するという離れ業を演じ、庶民の英雄でさえあった。
 その生地から遠くない街道筋には、安五郎の子分で次郎長と激しく対立した黒駒勝蔵の碑が立っている。碑文は知事の筆になる。地元の蔵元からは「黒駒の勝蔵」ラベルの酒が出ている。親分、子分とも悪役のイメージと大違い、敬愛の対象なのだ。
 安五郎は結局獄死し、勝蔵の末路はもっと哀れだ。尊攘派の志士として戊辰戦争では官軍に参じるが、維新後は新政府にささいな言いがかりをつけられて斬首される。使い捨てにされたのだ。
 一方の次郎長は幕府の側で活躍するが、維新後は新政府にも重用され、天寿を全うして、今でも有名人。2人のライバルの運命の何と皮肉なことか。
 日本人の感性から言えば、悲運の勝蔵に同情してよさそうなものだが、そうはならない。次郎長側の広報戦略の巧みさと、それに乗った浪曲などのメディアが生み出したイメージが強すぎるからだ。
 利権争いや意地の張り合いに生きるやくざ者に善玉も悪玉もない。それでも一方的な「次郎長史観」に歯がみする甲州人は少なくないはずだ。
by kousyuu-hannoujin | 2013-02-20 08:19 | 2013年 上半期
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